結婚20年

結婚20年

お祝いすることなく過ぎていきました

病気がわかったのもその頃…

完全に夫婦関係は冷め

夫に打ち明けました

「子供の生活があるから私は実家に帰れない、だから、申し訳ないがあなたが実家に帰り、しばらく離れて生活がしたい」

と…

夫は、快諾してくれ

実家に帰ると言ってくれました

そんな時…脳腫瘍が見つかりました

子供達

それからも、子供達の世話など

夫の協力はありませんでした

次女の年長さんの運動会は、

「年中で見たから行かない」

とか

上の子達の小学校の運動会も

シートに座り、仕事をしていました

子供の今しか見れない姿を私は、一生懸命に

ビデオや写真で記録しました

夫は、ビデオを見れば良い

といつも言っていました。

父親参加の綱引きなども

取引先の方が参加しているから参加する事もあったけど

それ以外は、不参加

私がいつも走っていました

家族6人生活

家族6人の生活が始まりました

私は、4人の子育てで1日を回していたのが

夫が戻り

さらに忙しい1日を過ごす事になります

夫は…自分の事だけに専念でき、

家事や子育て、面倒な手続きは

全て、私の仕事になりました

私のストレスも増え

この頃から夫婦喧嘩が絶えなくなりました

私は、それまで専業主婦で

自由になるお金もなく

パートをして働く事にしました

パートは、気分も変わり

また、少しですがお給料がもらえます

そのお給料を私の好きな歌舞伎や

子供達が喜びそうな物を買ったり

自分の洋服、美容院などに使いました

好きな事ができると、ストレスも軽減されます

しばらく、険悪な夫婦関係が続きます

夫の選択

夫は、単身赴任生活がどうしても嫌だと
上司や会社に掛け合い
実家に帰りたいと希望を出していました
すると、やはり、今までのような席はなく
降格してもいいなら、転勤させてあげる
と言われたようです
夫は、私に相談なく、その条件を快諾したようです
その頃、我が家には次女が生まれ
4人の子供を持ち、
たくさんのローンや生活費が必要でした

夫の転勤、引っ越し

長男が5年生になる頃に家を建てる事にしました

夫の実家から1時間以内の場所に家を建てました

すると、タイミングを同じにして

夫の転勤が決まり

同じ地方で自宅まで2時間半ぐらいの

場所に移動になりました

通勤は無理なので、単身赴任生活のスタートです

しかし、毎週末には自宅に戻り

その週末は、洗濯物の山

大量の洗濯をし、シャツにアイロンをかけ

数日分の食料を持たせて

日曜日夜に単身赴任先に戻る生活を2年過ごしました

そこで、夫の性格が浮き彫りに…

東北の地

東北に家族で引っ越しました

親族もいない土地での子育ては大変でした

ペーパードライバーだった私は

車の運転を覚えました

夫は相変わらず忙しく仕事をしていました

私は、何不自由なく生活させていただけている事に感謝し

家の事、子供の事、全て行い

夫には仕事に集中できる環境を作ることに努力しました

それがいけなかったのですね…

きっと…

でも、東北での6年間の生活は楽しく

子供達にとって第二の故郷です

次男出産。長女出産

それから2年。次男が生まれました
次男は、三か月の頃、病気になりました
肺炎、敗血症、髄膜炎
風邪をこじらせ、ミルクを飲むことができなくなり
病院につき、診ていただいた時には
肺が真っ白でした
緊急入院し、2ヶ月近く、病院で過ごす事になりました
それからは、回復し元気に育っておりましたが
言葉が遅く、また、歩き出すのも遅く
心配な毎日が続きました
また、さらに2年後、長女出産。
長女が生まれた時に次男の発語
妹の名前を呼ぶ事ができるようになりました
そして、夫の転勤で東北へ引っ越しです